病院

赤信号でブレーキを踏む ゆっくりと

まるで小動物を大切に扱うようにブレーキペダルを踏み込む

 

私の車の隣に停止した車には若いカップルが乗っていて

楽しそうに何かを話している

 

私にもそんな時期があったな とそんなことを思い出していた

たしかあれな夏の暑い日だった

洗濯物を干していたらあの人が帰ってきて私の悪口を吐き捨てた

あまりの唐突さに驚いて何も言い出すことができず その場に座り込んでしまった

 

彼は自分の部屋に行き あらかじめ用意されていたであろう大きなバッグを担ぎながら出てきた

頭のなかでハウリングしている声を理解するのに処理が追いつかなくて

冷たい視線と冷ややかな口元でなにかつぶやいて出て行くあの人をただ呆然としながら見送るしかなかった

 

失態を犯したのだろうか 私は何をしてしまっていたのか

いろいろ考えたけど 何も 何も 何も 頭には浮かんでこなくて

 

夏のまぶしすぎる夕焼けに照らされたアパートの一室で古びたソファに私は寝転んだ

結局私の見ていないところで何かが起きて

気づいたときには何もかも無くなっている

 

新しいことを始めるのは簡単だし楽しいけれど

終わり方や終わらせ方だったり何も考えずにソレを進むと

後悔するのは私であって あの時の私ではないのだ

 

ケータイが鳴る

 

友人からだった もはやケータイに出るという行為と意識は私には無く

そのままソファに体を埋めて意識を失った

 

 

照らされたライトが動き出して対向車が進みだしたことに気づいた

目の前の信号が青になったことを知った

私の体から出す命令に従ってゆっくりと進みだす車は犬のようだ

 

病院にいくのはもうやめた

アクセルを徐々に深く踏み込んでいく

私の灰色の車は低い唸り声を響かせて速度を上げていく